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更新日:2010年7月5日
詩人の堀口大學は明治25年(1892)東京に生まれました。明治42年新詩社に入り、明星短歌の技法を習得する一方、与謝野夫妻の助言で詩作も始めます。翌年慶應義塾大学文学部予科に入学し、「スバル」「三田文学」などに詩歌を発表し始めます。明治44年、外交官である父の任地メキシコに赴くため大学を中退し、以後14年間ベルギー、スペイン、ブラジル等海外で過ごします。その間フランス語を学びながらフランスの詩や小説に親しみ、象徴派の詩への傾倒を深めます。病弱なため、外交官への道を断念し、詩作と翻訳に専心し、大正8年処女詩集「月光とピエロ」処女歌集「パンの笛」を刊行し、帰国後の大正14年、訳詩集「月下の一群」のを出版は大きな反響を呼びます。昭和初期には詩誌「パンテオン」「オルフェオン」を創刊します。柔軟な和文脈にフランス語の語感の美しさをないまぜた明るく優雅な詩風は、日本近代詩の新生面を切り拓き、詩壇にも大きな影響を与えました。また翻訳でもポ-ル=モ-ランの「夜ひらく」などに円熟した訳筆をふるい、他にヴェルレーヌ、アポリネール、コクトーらの訳詩集があります。昭和56年(1981)89歳で亡くなりました。
鎌倉には、昭和七年の夏に長谷に住み、その後由比ガ浜の父の別荘にも滞在しています。鎌倉霊園に墓所があります。