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更新日:2012年1月31日

旧華頂宮邸沿革

沿革

華頂宮邸沿革

旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい)は昭和4年、華頂博信(ひろのぶ)侯爵邸として建てられました。華頂家の沿革(華頂宮家について)から、通称的に旧華頂宮邸と呼ばれています。

当初から常住の住宅として用いられたといわれていますが、華頂夫妻が住まわれたのは数年のみで、その後、たびたび所有者が代わり、平成8年5月に市が取得しました。戦後の接収もあったと思われますが、華頂博信侯爵当時、諸室がどのように使われていたかなどを含めて詳細は不明です。

華頂宮家について

伏見宮邦家親王第12王子博經(ひろつね)親王を始祖とし、伏見宮家のいわゆる分家にあたります。博經親王は、嘉永5年(1852年)知恩院門跡となり、万延元年(1860年)得度(出家)しましたが、明治元年(1868年)勅命により復飾(俗世間に戻ること)して一家を創し、知恩院の山号「華頂山」にちなんで華頂宮の称を賜りました。

博經親王が薨去(こうきょ/皇族・三位(さんみ)以上の人が死亡すること。)した後は、その第1男子、博厚(ひろあつ)親王がご相続しましたが、明治16年8歳にて薨去されました。このため、伏見宮家から博恭(ひろやす)王(親王の宣下のない皇族の男子、諸王に列せられた。)が3代目を継承しましたが、明治37年(1904年)に伏見宮へ復帰し、その第2男子博忠(ひろただ)王が4代目となりました。

大正13年、博忠王薨去後は断絶していましたが、大正15年、博恭王第3男子、博信(ひろのぶ)王が臣籍(明治憲法下、皇族以外の臣民たる身分)に下って華頂の姓を賜り、侯爵を授けられ、当宮の祭祀(神や祖先を祭ること。)を継ぐことになりました。

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