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更新日:2016年2月3日

地名由来

鎌倉市の地名の由来を、いくつか紹介します。

鎌倉【かまくら】

いろいろな説がありますが、主なものを紹介します。

伝説的なもの

  1. 神武(じんむ)天皇が東国(とうごく)を征服しようとしましたが、人々が天皇にそむいたので、天皇は毒矢を放ちました。すると、その毒矢に当たって一万人以上もの人々が死に、その死体が山となって今の鎌倉の山ができたといわれています。屍(かばね:死体)が蔵(くら)をつくったので、「屍蔵」(かばねくら)となり、それがなまって「かまくら」になったといわれています。
  2. 藤原鎌足(かまたり)が、神宮にお参りする途中、由井里(ゆいのさと:今の由比ガ浜)に泊まったところ、不思議な夢をみて、いつも持っていた鎌(鎌槍(かまやり)のこと)を、大蔵の松ヶ岡に埋めました。そこから「鎌倉」になったといわれています。

地形的なもの

  1. 鎌はもともとは「かまど」のことで、倉は「谷」のことだといわれています。鎌倉の地形は、東・西・北の三方が山で、南が海になっています。形は「かまど」のようで、「倉」のように一方が開いているので、「鎌倉」となったといわれています。
  2. アイヌ語の「カマクラン」という「山を越して行く」という意味の言葉からできたとか、「カーマ・クラ」という「平板(へいばん)な石の山」という意味の言葉からできたとかいわれています。

その他の説

  1. 昔、鎌倉の海岸近くには蘆(あし)や蒲(がま)がたくさん生えており、蒲が生えているところだから「かまくら」になったといわれています。
  2. 比叡山にも鎌倉という地名があり、「神倉」(かみくら)とか「神庫」(かみくら)がなまったものと考えられています。ここ鎌倉にも「神庫」があったので、それがなまって「かまくら」になり、鎌倉の字をあてたのだといわれています。
  3. 神奈川県の中央部に、高座郡(こうざぐん)という地名があります。高座は、昔「たかくら」と読んでいたところから「高倉」「高麗」(こま)に通じ、高麗座(こまくら)が「かまくら」になったといわれています。

大船【おおふな】

昔は粟積み船が出入りしていたと伝えられ、「粟船」と書いて「おおふな」と読んだといわれます。

十二所【じゅうにしょ(そ)】

昔は、十二郷ヶ谷ともいわれたようです。十二軒の村だったのでこういう名前がついたのだとか、熊野神社の十二社があったからだともいわれています。

浄明寺【じょうみょうじ】

昔は浄妙寺と書きましたが、浄妙寺があるので、「妙」を「明」に改めたといわれています。

二階堂【にかいどう】

源頼朝によって建てられた永福寺(ようふくじ)の本堂を二階堂といったのでこの地を二階堂と呼ぶようになったといわれています。

西御門【にしみかど】

源頼朝が大倉(蔵)に鎌倉幕府を建てたとき、四方に門を造りました。その西側の門を西御門というようになり、そのあたりの土地を西御門と呼ぶようになったといわれています。

雪ノ下【ゆきのした】

鶴岡八幡宮にある古い書物によると、源頼朝の食事に雪を出すため、雪を貯蔵しておく雪屋(ゆきや)を今宮(八幡宮の裏)あたりに保存したためといわれています。また、このあたりは「ゆきのした」という草が多くはえていたからともいわれています。

小町【こまち】

商業でにぎわう店などがあり、それほど大きくない町という意味で、大町にたいして呼ばれた地名です。

扇ガ谷【おうぎがやつ】

鎌倉駅の北西一帯の地域で、鎌倉時代は「亀谷」(かめがやつ)と呼ばれていました。「扇谷」(おうぎがやつ)は、英勝寺の裏門あたりの小さな地域の地名のようですが、室町時代になって上杉定正(さだまさ)がこの辺りに住んでいて「扇谷殿」(おうぎがやつどの)と呼ばれるようになったことから、「亀谷」の名が使われなくなり「扇谷」という地名がよく使われ、この一帯の地名になったといわれています。「扇谷」という地名は、「扇の井」があるからや、山と谷が入りくんで扇のように広がった地形から呼ばれるようになったといわれています。

御成町【おなりまち】

現在の御成小学校から市役所のある場所に、かつて御用邸があり、皇族方が御成り(来られ滞在されること)になったことからきているようです。

佐助【さすけ】

もと大町の一部で、佐助ヶ谷の地名で呼ばれていました。佐助ヶ谷内に、上総(かずさ)・千葉・常陸(ひたち)の三介(すけ)の屋敷があったので三介ヶ谷と呼ばれ、後にその呼び名がなまって佐助ヶ谷になったという伝えと、隠れ里の神が翁(おきな)の姿で夢に現われ、佐殿(すけどの)とよばれた源頼朝に旗挙げをすすめて助けたので、「佐助」というようになったと伝えられています。

長谷【はせ】

長谷寺の付近なので、大和(奈良県)にならって寺の名をそのまま町の呼び名としたものといわれています。

坂ノ下【さかのした】

極楽寺坂の下にあるので坂ノ下と呼ばれるようになったといわれています。

極楽寺【ごくらくじ】

この地にある極楽寺という寺の名をそのまま町の呼び名としたものといわれています。

稲村ガ崎【いなむらがさき】

極楽寺方面から続いている山が海岸まで延びて岬となっていて、この岬の形が稲束(いなたば)を積みあげた稲むらに似ているのでこの名がついたといわれています。

七里ガ浜【しちりがはま】

腰越の小動岬(こゆるぎみさき)から稲村ガ崎までのゆるやかな海岸で、中国流に六町を一里(いちり:4000m)としてこの名がついたといわれています。(実際はそれほどありません)

大町【おおまち】

大町大路ぞいに多くの町屋がならび、「まち」が大きかったのでその名がついたといわれています。

材木座【ざいもくざ】

鎌倉時代、材木座の地域は、和賀江島(わかえじま)の船着場(港)ができる以前から船舶(せんぱく)の寄港地としてにぎわい、商業の町がつくられていました。その後、船着場ができると、遠くから材木などを運ぶのに便利なところとなり、鎌倉の建築資材の集散地として一層にぎわい、多くの材木商人がこの地に住みつきました。鎌倉時代の後期から室町時代には、材木商人の座もつくられていたところからこの名がついたといわれています。

由比ガ浜【ゆいがはま】

「由比ヶ浜海岸」の名からつけられました。「由比ヶ浜」の名のおこりははっきりわかりませんが、由比というのはみんなで助けあう「ゆい」からきているともいわれます。また、むかし由井郷にあったので、その名がついたともいわれています。

笹目【ささめ】

この地域に古くからある笹目ヶ谷(佐々目ヶ谷)からつけられたと思われます。