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更新日:2019年10月23日

満福寺(まんぷくじ)

奈良時代、関東に悪い病気が流行していたとき、聖武(しょうむ)天皇にこの病気を排除するよう命ぜられた行基(ぎょうき)が鎌倉へ来て、前方に広がった海原と後方の山並みがとても美しいこの場所で祈りをささげると不思議に病気がおさまったといわれ、仏の功徳(くどく)をたたえてここに寺を建てることにしたといわれています。

また、1185年(元暦2)に平家を滅ぼし凱旋した源義経(よしつね)は、頼朝の命令にそむいたとの理由で鎌倉入りを拒まれ、頼朝の怒りを解くために義経は満福寺にとどまり、頼朝に許しを得る書状をしたため差し出しましたが許されず、逆に追われる身となったといわれています。この書状を腰越状といい、その草案というものがこの寺に伝えられています。

境内には、義経公慰霊碑や義経が手を洗ったと伝えられる井戸、弁慶の腰掛石(こしかけいし)と伝えられる石、弁慶が腰越状の下書きをしたためるときに水を汲(く)んだといわれる硯(すずり)の池があります。

  • 義経が手を洗ったといわれる井戸、弁慶の腰掛石、腰越状の下書き・版木(要拝観依頼)、弁慶の椀・錫杖(要拝観依頼)、義経絵巻襖絵(要拝観依頼)
  • 義経祭り(4月中旬)

満福寺の絵

萩原輝治(日本美術家連盟会員)

宗派

真言宗大覚寺派

場所

腰越 2-4-8

江ノ電腰越駅下車 徒歩5分