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更新日:2023年2月3日

さんぎょう

鎌倉市の産業(さんぎょう)

鎌倉市(かまくらし)の産業(さんぎょう)の昔(むかし)と今(いま)を見てみましょう。

鎌倉時代(かまくらじだい)~江戸時代(えどじだい)頃の産業

治承(じしょう)4年(西暦1180年)に源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉(かまくら)入りして、このあと鎌倉幕府(かまくらばくふ)を開いて、都市(とし)として発展(はってん)していきました。

鎌倉時代(かまくらじだい)に、船(ふね)による品物(しなもの)の運搬(うんぱん)がさかんになると、和賀江島港(わかえじまこう)を中心(ちゅうしん)にして鎌倉の南東部(なんとうぶ)が商業地域(しょうぎょうちいき)として発展(はってん)しました。江戸時代(えどじだい)には、鎌倉でとれる鰹(かつお)がもっとも良いものと言われるほどでした。

また、鎌倉時代(かまくらじだい)に漆(うるし)をなんどもぬり重(かさ)ねて彫刻(ちょうこく)する技術(ぎじゅつ)が中国(ちゅうごく)からつたわりました。これが鎌倉彫(かまくらぼり)の起源(きげん)といわれ、茶道(さどう)の普及(ふきゅう)とともに「鎌倉物(かまくらもの)」として有名(ゆうめい)になりました。

鎌倉市の農業(のうぎょう)

昔(むかし)は柏尾川(かしおがわ)や散在ヶ池(さんざがいけ)などから水を引いて水田(すいでん)をつくっていましたが、今では、ほとんどが住宅(じゅうたく)や工業用地(こうぎょうようち)にとってかわりました。

畑(はたけ)も減ってはきましたが、鎌倉は大きい都市(とし)の近くであることから、トマト、きゅうり、だいこん、ほうれん草など、新鮮(しんせん)な野菜(やさい)の出荷(しゅっか)が農業(のうぎょう)の主なものになっています。

 

 

鎌倉市の水産業(すいさんぎょう)

昔(むかし)は鎌倉は、鰹(かつお)の生産地(せいさんち)として知られ、
"目に青葉、山ホトトギス、初鰹"
(めにあおば、やまほととぎす、はつがつお)
という山口素堂(やまぐちそどう)という人が江戸時代(えどじだい)に作った句(く)が有名(ゆうめい)になるほどです。

現在(げんざい)の漁業(ぎょぎょう)は昔(むかし)ほどさかんには行われなくなりましたが、いわし、しらす、わかめなどがよくとれて、海産物(かいさんぶつ)の店(みせ)でよく見かけます。

腰越(こしごえ)など海岸(かいがん)では、釜揚(かまあ)げしらすやたたみいわしを売って、鎌倉(かまくら)の海をにぎわしています。

鎌倉市の工業(こうぎょう)

昭和(しょうわ)の初めまで工業(こうぎょう)といえば、古くからの伝統(でんとう)である鎌倉彫(かまくらぼり)・正宗工芸(まさむねこうげい)や鎌倉ハム工場などしか目立つものがありませんでした。

しかし、昭和11年(西暦1936年)に松竹撮影所(しょうちくさつえいじょ)が大船(おおふな)に移ってきてからだんだんと活気(かっき)がでてきました。東海道線(とうかいどうせん)を利用(りよう)して大都市(だいとし)へ物(もの)が運びやすいことから、大船地区(おおふなちく)・深沢地区(ふかさわちく)に工場(こうじょう)が増えていきました。電気(でんき)・機械(きかい)や化学(かがく)が主な業種(ぎょうしゅ)です。

鎌倉市の商業(しょうぎょう)

山と海に囲まれた歴史(れきし)の町である鎌倉は、海水浴(かいすいよく)や別荘(べっそう)・文化人居住地(ぶんかじんきょじゅうち)で注目(ちゅうもく)され、明治(めいじ)23年(西暦1889年)横須賀線(よこすかせん)の開通(かいつう)とともに観光客(かんこうきゃく)でにぎわうようになりました。

鎌倉駅(かまくらえき)のまわりは、小売店(こうりてん)や飲食店(いんしょくてん)がおおくの観光客(かんこうきゃく)でにぎわい、大船駅(おおふなえき)のまわりは、食料品(しょくりょうひん)や生活用品(せいかつようひん)をあつかう小売店(こうりてん)やデパート、スーパーマーケットが買物客(かいものきゃく)でにぎわっています。

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