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更新日:2025年1月20日
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鎌倉は、日本における古代から中世への転換期において源頼朝をリーダーとする武家が、日本で初めての武家政権を樹立し、それまでの貴族支配に替わる武家の支配を築いた場所です。幕府を開いた頼朝は、幕府の組織を整えるとともに都市づくりを開始しました。都市づくりがほぼ完成した1230年ころになると、幕府は全盛期を迎え、鎌倉は政治、軍事、外交、文化などあらゆる面で日本の中心地となりました。当時の築港である和賀江島を通じて中国の宋や元との交易が盛んに行われ、禅宗、禅宗様建築、仏像彫刻、彫漆など様々な中国文化がもたらされました。それらは長い年月のなかで守り続けられ、今日でも中世の社会を支えた繁栄の歴史と華やかな文化を伝えています。
昭和14年11月3日
昭和14年11月3日に当時の鎌倉町と腰越町が合併し、鎌倉市が誕生しました。
その後、昭和23年1月に深沢村、同年6月に大船町を編入して、現在の鎌倉市となりました。
極東…東経139゜35´(十二所七曲)
極西…東経139゜29´(腰越三丁目)
極北…北緯35゜21´(関谷東正院)
極南…北緯35゜17´(材木座六丁目)
総面積…39.66平方キロメートル
35.20キロメートル
7.00キロメートル
東西…8.75キロメートル
南北…5.20キロメートル
リンドウ(リンドウ科)
リンドウは、秋になるとひっそりと紫の花をつけます。やや乾いた山地や草地に生る多年草で、葉はササに似て対生します。リンドウの葉と花を図案化した「ササリンドウ」が鎌倉市の市章になっています。
ササリンドウ
昭和27年11月3日
リンドウの葉と花をあしらったりんどう紋の通称。藤原時代に貴族の衣服の文様として用いられ、村上源氏一門の家紋としても知られている。ただし、鎌倉源氏や清和源氏の家紋であるというのは俗説で、学術的根拠は無い。
ヤマザクラ(オオシマザクラを含む=バラ科)
ヤマザクラは、春になると新葉とともに白い五弁の花を開き、昔から和歌などに多く詠まれ、日本人に愛されてきました。かつては鎌倉の山にもたくさんあり、薪・炭材として使われていました。今も山のあちこちに残っていて春になるとみごとな花が楽しめます。
所属課室:共生共創部秘書課秘書担当
鎌倉市御成町18-10 本庁舎2階
電話番号:0467-23-3000