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更新日:2025年2月18日
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第3号/平成3年3月1日指定
この建物は、昭和8年、横浜興信銀行(現横浜銀行)の常務取締役であった村田繁太氏邸増築部として建築され、昭和36年、国文学者の篠田太郎氏の所有となりました。
特徴としては、鎌倉のハーフティンバースタイルの住宅を代表するもので、周囲にひときわ高くそびえる切妻屋根は、道行く人々のアイスポットとして親しまれています。
由比ガ浜二丁目
(注)貸し切り型宿泊施設として活用されています。詳しくは篠田邸(外部サイトへリンク)
昭和8年、横浜興信銀行(現横浜銀行)常務取締役であった村田繁太邸増築部として竣工した。
昭和5年に竣工したと思われる和風平家部分がすでにあり、この一端に続く形で増築された。
その後、昭和36年8月国文学者の故篠田太郎氏の所有となり現在に至る。
昭和57年11月、同一敷地内の和風平家から出火、和風平家は全焼、洋館も一部被災した。
当初、洋館の取壊しも検討されたが、建物に慣れ親しんできた付近住民の強い要望もあり、昭和58年7月に創建時の姿に復旧された。
外観は、ハーフティンバーのスタイルが用いられており、昭和4年竣工の旧華頂宮候爵邸とともに、鎌倉のハーフティンバー様式の住宅を代表するものである。
この二邸のスタイルは大変良く似ており、外壁は下階がスクラッチタイル張り、上階が梁・柱形を現したモルタル塗り仕上げである。
屋根は両者とも切妻であるが、旧華頂宮候爵が直線の破風を持つのに対し、篠田邸は破風の末端が少し返っており、より華やかな印象を受ける。
建物内部は、縁甲板張りの床に、プラスター塗り、ペイント吹付け仕上げの壁、天井が紙張りであるゆったりとした階段ホールや洋館部分の増築がこの部屋のために行われたともいえる規模の大きな応接室から構成されている。
応接室の床は、網代張りのフローリングで周囲にメアンダー模様を見せる本格的なもの、壁は高腰の板張りに上部壁紙張り、天井はプラスター塗りで中心に唐草模様の飾り、縁に卵鏃模様の装飾細工を施すなど意匠的にも手が込んでいる。
木造の骨組みを表に現し、その間に煉瓦や石などを充填して壁体とした建築の様式。
中世末から近世はじめにかけ流行した。その後、19世紀のイギリスでリヴァイヴァルし、盛んに用いられた。
この様式は、再び1920~1930年代にもしばしば採用され、同時期日本でもしきりに用いられた。
曲折模様のこと。直線が直角に折れ曲がって連続するもののことで、古代ギリシア建築や工芸に見られるものはその例。また、曲線が波状をなして連続するものもある。