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更新日:2025年2月18日
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第24号/平成15年3月31日指定
檑亭は鎌倉山が住宅地として開発された当時の歴史を今に伝える貴重な建物です。
本館は、横浜の農家を移築したもので、玄関は手広の青蓮寺、山門は西御門にあった高松寺からの移築によるものです。
建物内部は、太い梁を交差させた天井、ステンドグラス、暖炉、古道具を用いた家具・照明器具など、和洋折衷の特異な空間が創り出されています。
鎌倉山三丁目
(注)料亭として使用されています。詳しくはらい亭(外部サイトへリンク)
当初は「清香園」と称し、鉄道事業家・土木技術者として知られる菅原恒覧が営んだ別荘であった。
昭和3年7月に鎌倉山住宅株式会社が鎌倉山を宅地化しようとした際に宅地の分譲を受け、関東大震災で倒壊した横浜戸塚の農家を昭和4年7月に移築し、翌昭和5年に、青蓮寺(鎌倉市手広)の玄関の材料を買い受けて、本館の西北隅に増築し、これを玄関とした。
昭和44年に現所有者が和風レストランとして開業し、現在に至っている。
移築された横浜の農家は、江戸時代の創建とも思われるが、正確な創建年は不詳。
また、玄関部分は、一部に安政3年創建時の部材が使用されていることが確認できる。
大規模養蚕農家と寺院の玄関とを改造して合体させ、移築する際に、一階を増築して二階建てにして建てあげた建物で、個々の部材は江戸時代にまでさかのぼるものもある。
しかし、全体を貫いている意匠の質は昭和4年のものであり、古い由緒ある素材の存在は、そうした古材やいわれを楽しむ当時の趣味の証左と見ることができる。
特にもとは土間であった16.5坪大の洋室は、建物の意匠のエッセンスが集中しており、太い梁を交差させた天井、サークル塗りの粗面モルタル仕上げの壁、西側の9枚のステンドグラスなどが和洋の独特な雰囲気を醸し出している。
家具・照明器具等もすべて古道具を漁って選んできたといい、様々な由来をもつものが高密度に集積し、特異な空間が創り出されている。
その他、八畳・十畳・十畳の3室からなる和室もよく当初の姿をとどめており、特に東南の十畳は床と棚と付書院を備えた最も格の高い主室である。
一階部分は、鉄筋コンクリート造でありながら、梁などに木を用いた混構造であり、民家風の雰囲気を創り出しているが、らい亭になってから改装したもの。
らい亭は細部に至るまで徹底した古物趣味が貫かれて、しかもそれが良く残されており、非常に貴重な存在である。