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更新日:2024年2月5日
賢い選択で脱炭素社会へ!
鎌倉市は持続可能な開発目標(SDGs)の達成に向けた取り組みを推進しています。
SDGsの目標
環境政策課 電話61-3421
2月は「省エネルギー月間」です。自宅で過ごす時間が多くなるこの季節は、電気やガスなどのエネルギー消費も多くなります。二酸化炭素などの温室効果ガス削減のために、ちょっとした工夫を取り入れてみませんか。
暖房時の室温は20℃を目安に
こまめに消灯
冬は「弱」かエコモード
就寝前に節電モード
2月1日(火曜日)~9日(水曜日)笛田リサイクルセンター
楽しく学べるクイズ形式のパネルなどを展示。
ごみ減量対策課 電話61-3396
自分にとっては不用品でも、誰かの必需品となって活かすことができます。
食品ロスを減らし、必要な人に届ける
福祉団体などに引き渡し、生活困窮者の支援にも活用します。
缶詰類、米類、乾麺(パスタなど)、調味料(食用油など)、飲料(ジュース、コーヒーなど)、贈答品の余りなどで、未開封のもの。
(注)野菜類は不可
賞味期限が残り2カ月以上あることを確認の上、2月1日(火曜日)~28日(月曜日)の平日9時00分~17時00分にごみ減量対策課(本庁舎1階)にお持ちください。
(注)氏名・住所・電話番号を確認します
不用品を譲りたい人・譲ってほしい人をつなぐ
「リユースネットかまくら」のホームページか、「登録カード」(ごみ減量対策課・支所・笛田リサイクルセンターで配布)に記入。
(注)登録できる人や品物に決まりがあります
同ホームページか、鎌倉リサイクル推進会議(電話32-9094=火曜日~金曜日の平日10時00分~16時00分)に電話で応募すると、相手の連絡先などが届くので、当事者同士で品物を受け渡します。
環境政策課 電話61-3421
両計画の策定から5年が経過したため、中間見直しを進めています。
2月15日から
環境政策課(本庁舎1階)・市役所ロビー・鎌倉生涯学習センター・図書館・支所・市ホームページ
閲覧場所にある意見書などに、意見・住所・氏名・電話番号を書いて、閲覧場所(支所以外)にある回収箱または郵送・ファクス・Eメール(kankyo@city.kamakura.kanagawa.jp)か直接、同課へ(3月16日必着)
いよいよ大河ドラマが始まりましたね。今回は、北条氏の本拠地である伊豆国田方郡(いずのくにたがたぐん)北条(現・静岡県伊豆の国市)に想いをはせてみましょう。
北条氏の暮らした館は、現在、史跡北条氏邸跡(ほうじょうしていあと)(円成寺(えんじょうじ)跡)として、国の史跡に指定されています。そもそも伊豆北条というのは、伊豆半島の付け根辺りにあり、山の多い半島の中でも農業生産力の高い平野部(田方平野)に位置します。田方平野の中央に広がる韮山(にらやま)地域には、守山(もりやま)と呼ばれる独立丘があり、北条氏はその山裾に館を構えていました。下田街道と狩野川(かのがわ)に挟まれた北条氏邸は、北条氏が水陸交通の要衝(ようしょう)を押さえていたことを示します。加えて、国衙(こくが)(役所)のある三島に近接し、坂東(ばんどう)諸国の中で最も京都に近く、中央の情報を得るにも便利な場所に居住していたといえるでしょう。
北条氏邸跡の調査では、大量のかわらけや常滑焼(とこなめやき)などの国産陶器、青磁(せいじ)・白磁(はくじ)などの中国産の磁器とともに、鎌倉前期の建物跡や井戸、区画溝などが見つかりました。中でもとりわけ目を引くのは、大量の中国産の磁器です。日宋(にっそう)貿易によってもたらされた輸入品は、下田街道や狩野川を通じて北条氏邸にも運び込まれたのでしょう。破片数にして一六六一点もの磁器が見つかっており、北条氏の権威や財力をうかがうことができます。
出土量のピークは、一二世紀の終わりごろから一三世紀の初めごろであることが判明しています。これは、建物跡が最も多く確認された時期とも重なります。まさに、時政や政子、義時が生きた時代ですね。時政や義時は、鎌倉に入った後も、頻繁に伊豆に下向(げこう)しており、願成就院(がんじょうじゅいん)を建立するなど、依然として本拠地を重視していました。その後、嘉禎(かてい)二年(一二三六)に泰時によって、父・義時の一三回忌供養が願成就院で行われたのを最後に、『吾妻鏡(あずまかがみ)』では北条の地に関する記述は見えなくなります。このことは、北条氏が本格的に拠点を鎌倉に移したことを意味し、これに伴い、北条の邸宅としての機能も縮小し、伊豆との関わりは希薄になっていったと考えられます。
再び北条氏と伊豆の関わりが深くなるのは、鎌倉幕府の滅亡後です。生き残った北条の女性たちは伊豆に下り、北条氏邸のあった場所に円成寺を建立しました。ここでは仏具や茶道具が見つかり、尼寺の暮らしを今に伝えています。
本拠地の伊豆北条は、北条氏の始まりの地であると同時に、終焉(しゅうえん)の地でもあったのです。
【鎌倉歴史文化交流館学芸員・山本みなみ】
(注)鎌倉歴史文化交流館では、企画展「北条氏展vol・1 伊豆から鎌倉へ~北条氏の軌跡をたどる」を開催中
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