ホーム > 市政情報 > 広報 > 広報かまくら > 広報かまくらバックナンバー > 広報かまくらバックナンバー・令和4年度(2022年度) > 広報かまくら令和4年度11月号(No.1397) > 広報かまくら令和4年度11月号9面
ここから本文です。
更新日:2022年10月27日
鎌倉歴史文化交流館 電話:73-8501
3月11日(土曜日)まで
2館同テーマで開催
北条義時の息子には、「御成敗式目」を制定した泰時や、極楽寺を開いた重時など、多くの傑出した人物がいます。その後葉(こうよう)(子孫)たちは、北条一門として確たる地位を築きました。伊豆に産声を上げ、激動の時代を経て鎌倉に基盤を移した北条氏の軌跡は、中世都市鎌倉の歴史そのものともいえます。
「御成敗式目」をはじめ、一門のゆかりの品々を通じて、北条氏のその後の足跡をたどります。
鎌倉国宝館 電話:22-0753
11月8日(火曜日)〜12月21日(水曜日)
2館同テーマで開催
北条義時の没後、子どもたちも幕府の要職に就き、鎌倉の政治や文化を牽引(けんいん)しました。彼らの信仰や栄華の痕跡は、今日の鎌倉を特徴づける寺院や、そこに伝わる文化財に見ることができます。「武家の古都」と称され、風光明媚(めいび)な観光地としても知られる鎌倉の魅力の土台を創り上げた北条氏一門の功績に思いをはせつつ、ご鑑賞ください。
列品解説…同館ホームページを
鏑木清方記念美術館 電話:23-6405
11月15日(火曜日)…美術講演会(予約受け付け中)
11月27日(日曜日)まで
鏑木清方(かぶらききよかた)が試行と模索を重ねた大正時代の作品を中心に、風景画や旧蔵の油彩画(初公開)などを紹介します。
主な展示作品…「江の嶋」(大正6年)、「権八 小紫」(大正12年頃・光ミュージアム蔵)など
都市景観課 電話:61-3477
11月5日(土曜日)・6日(日曜日)…10時00分~15時00分
和館(無為庵)の公開はなし
川喜多映画記念館 電話:23-2500
11月1日(火曜日)~6日(日曜日)…10時00分~16時00分(6日は15時00分まで)
要展示観覧料
日本工芸会東日本支部 伝統工芸神奈川会展も
(注)いずれも予約不要・飲食禁止・駐車場なし。入館人数制限の可能性あり
川喜多映画記念館 電話:23-2500
12月12日(月曜日)まで
11月12日(土曜日)14時00分から展示解説あり
チケット販売中
チケット販売は11月12日から
入館時に身分証明書などの提示を。
鎌倉歴史文化交流館・鎌倉国宝館・鎌倉文学館・川喜多映画記念館(映画鑑賞料金は除く)・鏑木清方記念美術館
この史料は、足利尊氏の弟直義(ただよし)(1306~52)が、観応2年(1351)6月25日に鎌倉殿である鎌倉公方(くぼう)足利基氏(もとうじ)(1340〜67)に宛てた御教書(みぎょうしょ)(上皇をはじめ貴人(きにん)の意思を伝えるため家臣が発する文書(もんじょ))です。本書で直義は、伊豆(いず)国田方郡(たがた)江馬荘(えまのしょう)内の修禅寺(しゅぜんじ)「伊豆国利生塔(りしょうとう)」領について、地頭(じとう)からの度重なる訴えは排除したので、同寺からの願いのとおり、寺の所領を確保するようにと、基氏に命じています。
直義はこの6年前、修禅寺の塔を「利生塔」と称するよう、同寺の長老に命じました。この「利生塔」は、国ごとに建立した寺の塔に名付けたもので、元弘以来の戦没者を慰霊し、天下太平を祈願したといわれます。
観応2年は、尊氏派と直義派との衝突が激化した時期です。同年2月に尊氏派を破った直義は尊氏と和議を結び、のちの室町幕府第二代将軍足利義詮(よしあきら)を後見しました。しかしその後鎌倉に移り、尊氏との戦に敗れて翌年没しました。
直義は鎌倉敗走後も、観応2年12月、伊豆守護上杉能憲(よしのり)にこれまでのとおり同国利生塔の所領として江馬荘のうちの一部を渡すよう命じています。このことや本史料より、短期間ながら将軍の後見人として権力の座にあった直義の政務の一端が分かるとともに、北条氏滅亡後も修禅寺が次政権の庇護(ひご)を受けていたことがうかがえます。
(市指定文化財 縦30・4センチ横45・8センチ)
本品は、11月8日~12月21日の特別展「北条氏展vol.4 北条義時の子どもたち」で公開
【鎌倉国宝館】
お問い合わせ
掲載している各記事についてのお問い合わせは、各担当へご連絡をお願いします。