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更新日:2023年12月26日
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鎌倉国宝館 電話:22-0753
1月4日(木曜日)~2月12日(月曜・振替休日)
鶴岡八幡宮は、康平(こうへい)6年(1063)に源頼義が石清水(いわしみず)八幡宮を由比若宮として勧請し、その後、子孫の頼朝が治承(じしょう)4年(1180)に現在の場所に遷座しました。以来、鎌倉幕府の最も重要な神社に位置付けられ、源氏の氏神、武門の守護神として崇敬されました。
源氏三代の後も歴代の為政者の尊崇を集めながら、その庇護(ひご)のもとに社勢を維持し続け、現在も宇佐・石清水とともに全国の八幡宮を代表する大社として広く知られます。
2年ぶりの開催となる本展では、国宝の古神宝類をはじめ、同宮が守り伝えてきた絵画・文書、同宮旧蔵の仏像など、ゆかりの宝物を一堂に展示します。
鎌倉歴史文化交流館 電話:73-8501
3月9日(土曜日)まで
2024年は、モンゴル襲来(文永の役・1274)から750年に当たります。近年は、長崎県松浦市の鷹島(たかしま)沖に沈んだ元(げん)軍船の発見や、資料の再検討によって、襲来の実像が明らかになりつつあります。
本展では、二度の襲来に迫るとともに、この時代を経て花開いた鎌倉の文化的側面を併せて紹介します。初出展となる「蒙古襲来絵詞(えことば)」の白描(はくびょう)の模本(個人蔵)や、元軍を物語る品々(松浦市教育委員会蔵)などを展覧します(鷹島海底遺跡の遺物の展示は1月19日から)。
鏑木清方記念美術館 電話:23-6405
1月4日(木曜日)~2月27日(火曜日)
鏑木清方(かぶらききよたか)と山口蓬春(ほうしゅん)は近代数寄屋建築の名建築家・吉田五十八(いそや)が手掛けた画室を持ち、こよなく愛していました。そんな2人にちなんだ連携企画を2つの記念美術館で開催します。詳細は同館チラシを。
1月4日(木曜日)~8日(月曜日・祝日)
ミュージアムグッズが当たる福引きを実施します。また、叢書(そうしょ)図録と一筆箋を特別価格で販売します。
12月28日(木曜日)~1月4日(木曜日)休館
チケットセンター 電話:0120-1192-40(10時00分~19時00分)
2月12日(月曜・振替休日) 14時00分 から
ショパン:ポロネーズ 変イ長調「英雄」
リスト:「ラ・カンパネラ」
ほか
3,500円~1,500円(学生は半額)
詳細は同館ホームページを。
川喜多映画記念館 電話:23-2500
1月20日(土曜日)~4月7日(日曜日)
12歳未満の年少者の観覧には、親または保護者の助言・指導が必要
1月31日(水曜日)13時00分から(要展示観覧料)
2月11日(日曜日)15時00分から 料金1,000円(展示観覧料含む)
「ジェラール・フィリップと忘れじの盟友たち」
ゲスト
市民は、鎌倉国宝館・鎌倉歴史文化交流館・鏑木清方記念美術館・川喜多映画記念館の観覧料が無料です(映画鑑賞料金などは除く)。身分証の掲示を。
今回紹介する資料は、令和4年度に若宮大路周辺遺跡群の発掘調査で出土した、中国産の白磁壺の破片です。壺の底部の破片には、墨で「十綱」と記されていました。これは、鎌倉時代に日本と貿易を行っていた中国(当時は宋)の商人グループのサインと考えられており、鎌倉では初めての出土事例です。
当時、船を所有して日宋貿易に従事した宋人は「綱首(こうしゅ)」と呼ばれ、日本の玄関口であった博多を活躍の場所としていました。「綱」とは貿易貨物の輸送単位を示し、「人名」+「綱」で、その貨物の所有者や管理者を示したと考えられています。博多では「綱」が記された陶磁器が多く出土していますが、これまで「十」+「綱」のサインは確認されていないことから、「十」が人名であるか、もしくは「十」は数の単位で「十の荷物」を示すのかは検討が必要です。
また、この資料の出土地点は扇川の左岸で、鎌倉時代中後期の建物跡なども見つかっています。建物との関係は未詳で、この破片と接合できるものも見つかっていません。
この壺は、福建省で生産された白磁壺で、おそらく四耳壺(しじこ)(肩部に紐をかける半環が4カ所ある壺)と考えられます。底の直径は11センチ以上あり、日本に輸入された白磁の中でも、大型の優品であったと推測されます。
さて、「綱」が記された陶磁器は、平安時代末から鎌倉時代初期の博多に集中しており、宋の商人が博多で活動していたことだけでなく、日本と宋の貿易が博多を中心に行われていたことを裏付けています。
今回、博多と同種の資料が鎌倉で出土したことは、日宋貿易の延長線上に、鎌倉があったことの証拠といえます。当然、宋から直接、鎌倉へ貿易船が入港したことも否定できませんが、宋~博多~鎌倉の貿易ルートを示す貴重な資料といえます。
【文化財課】
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