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更新日:2024年2月26日
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文化財課 電話:61-3857
源頼朝によって日本で最初に全国的な武家政権の拠点が置かれた鎌倉には、歴史上大切な文化財が多数伝わっています。
市ではこれらの文化財のうち、歴史的、芸術的、学術的に価値が特に高いものを「市指定文化財」に指定しています。このたび新たに2件を指定しましたので紹介します。(総数329件)
文化財とは、地域の歴史や文化を今に伝えるものの総称。人々の生活や考え方の移り変わりを知り、私たちがこれからどうあるべきかを考える上で、参考とする不可欠なものです。私たちはかけがえのない文化財を確実に後世へ伝えていかなければなりません。
海蔵寺 年代 南北朝時代
伽藍神とは、中国で信仰されていた道教的な土着神が仏教に取り入れられたもので、日本では鎌倉時代以降に禅宗寺院を中心に受け入れられました。
海蔵寺(扇ガ谷)の薬師堂に安置されているこれら四軀の伽藍神像は、江戸時代・安永(あんえい)6年(1777)に同寺仏殿が再建された際に建長寺から移されたものです。建長寺の前は、現在の横浜市金沢区にあった能仁寺(のうにんじ)に祀られていたと伝わります。
かつてその能仁寺にあった地蔵菩薩(ぼさつ)像が、仏師・上総法眼朝栄(かずさほうげんちょうえい)の作で、永徳3年(1383)4月21日に完成したことがわかっており、これと、海蔵寺伽藍神像は、構造や作風が類似しています。このことから、南北朝時代、14世紀後半に仏師・朝栄周辺の仏師により造られたものと考えられます。
紹介の四軀は日本における伽藍神像のなかで最も制作年代が古いとされる、建長寺仏殿内の伽藍神像を範としており、伽藍神像が鎌倉地方でどのように受け入れられ、展開していたか、考察する上で重要です。
報国寺(鎌倉国宝館寄託)
報国寺文書は、建武元年(1334)開山の報国寺(浄明寺宅間谷)に伝わる中世~近世・近代の文書群(もんじょぐん)です。
現在、鎌倉国宝館に寄託されている計340点が指定となり、このうち最も古い史料は延慶元年(1308)12月22日付の太政官符(だじょうかんぷ)の写しで、最も新しい史料は明治37年(1904)の帳簿です。中世から近代に及ぶ豊富な史料であり、報国寺領に関する寄進状案(きしんじょうあん)などの中世文書をはじめ、江戸幕府歴代将軍の寄進状や公帖(こうじょう)、種々の回向文(えこうもん)などの近世文書が含まれます。報国寺の歴史や鎌倉の禅宗寺院の動向、ひいては武家政権と鎌倉の関係を知る上で欠くことのできない重要な史料群です。
慶安2年(1649)10月17日
寺領十三貫文の寄進と、寺中の竹木の伐採、諸税の免除を認める内容となっている
天文20年(1551)9月20日
報国寺境内の建物・菜園などに対する税の免除と、竹木伐採を許可する内容となっている
教育総務課教育企画担当
昨年11月1日~今年1月29日に実施したスクールコラボファンド第4弾は、支援総額1,172万739円となりました。温かいご支援をありがとうございました。
この寄附金は、学校がさまざまな外部機関と連携して取り組む学習プログラムなどに活用させていただきます。実現した教育活動は、教育委員会noteなどで随時報告いたします。
引き続き、市の教育へご支援をよろしくお願い申し上げます。
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