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更新日:2021年8月4日

広報かまくら平成25年度8月1日号8面

農業体験2013~家族で農作業を体験

産業振興課 内線2481

農業振興地域の畑(関谷)で、野菜の種まきから収穫までの一連の農作業を家族で体験しませんか。最終日には収穫した野菜でとん汁を作ります。

対象は市内在住で3日間とも参加できる4歳~中学生のお子さんがいる家族。参加費は1家族千円(傷害保険料など)。定員30組。抽選。

【とき】

いずれも土曜日。雨天時はそれぞれ翌日同時刻に順延。

  • 9月7日…午後3時から
  • 9月21日…午後4時から
  • 11月2日…午前10時から

【申し込み】

はがきで、催し名、代表者の住所・電話番号、参加者全員の氏名・年齢を、8月9日(必着)までにJAさがみ玉縄支店内鎌倉地区運営委員会事務局(〒247-0072岡本2の17の24、電話44-3851)へ。

市民平和文化展を開催

同展実行委員会事務局 電話61-3872

市民平和文化展は、平和への思いや願いを込めた公募作品による作品展です。平和の大切さを考えることを目的に、絵画・写真・書・工芸・児童作品などを展示します。

  • とき…8月7日(水曜日)~11日(日曜日)10時00分~17時00分(最終日は16時00分まで)
  • ところ…鎌倉生涯学習センター

平和の大切さを考えよう ~鎌倉市の平和都市宣言

文化人権推進課 電話61-3872

市は昭和33年8月に核兵器の廃絶と世界恒久平和の確立、歴史的文化遺産を持つ鎌倉の平和を守り続けるという決意のもとに、平和都市であることを宣言しました。

この宣言は、市民有志の請願を市議会が全会一致で採択したことを受けて、市が宣言したものです。

市では、市民による平和推進実行委員会と協働で、憲法記念日のつどいや小・中学校での出前講話など、平和について考える事業を実施しています。

平和都市宣言

われわれは、日本国憲法を貫く平和精神に基いて、核兵器の禁止と世界恒久平和の確立のために、全世界の人々と相協力してその実現を期する。
多くの歴史的遺跡と文化的遺産を持つ鎌倉市は、ここに永久に平和都市であることを宣言する。

第55回 鎌倉薪能

市観光協会 電話23-3050

鎌倉宮の杜(もり)に囲まれた特設舞台で、金春流能楽師山井綱雄さんを総合プロデューサーに迎え、鎌倉薪能を開催します。

  • とき…10月11日(金曜日)・12日(土曜日) 午後5時開演
  • ところ…鎌倉宮境内(二階堂)
  • 料金…7千円 全席指定 (解説入りパンフレットを事前に送付します)

【11日(金曜日)演目】

  • 素謡「翁」 金春安明
  • 初日之式「千歳」 金春憲和
  • 被災地復興に寄せて~鎮魂の舞仕舞「松風」 横山紳一、「野守」 山井綱雄
  • 狂言「蝸牛」 野村万作
  • 能「高砂」 香川靖嗣

【12日(土曜日)演目】

  • 素謡「翁」 高橋汎
  • 二日目之式「千歳」 高橋忍
  • 被災地復興に寄せて~鎮魂の舞仕舞「松風」 本田光洋、「野守」 辻井八郎
  • 狂言「蝸牛」 野村万作
  • 能「高砂」 金春安明

申し込み…9月1日以降に鎌倉薪能申し込み専用電話(電話23-3545=午前9時~午後4時)へ。先着順

※小学生以下は入場不可。会場内での撮影・録音はできません。雨天中止。開演前に中止となった場合は料金を払い戻します

鎌倉国宝館 特別展 「国宝 鶴岡八幡宮古神宝」

鎌倉国宝館 電話22-0753

源頼朝によって創建された鶴岡八幡宮には、頼朝奉納と伝える国宝の古神宝類や硯箱が遺されています。これらは、金(きん)を贅沢に使った沃懸地(いかけじ)や螺鈿(らでん)細工などで作られた豪華な品々です。

本特別展ではこうした作品のほかに、康平6年(1063)の源頼義による石清水八幡宮勧請950年を記念し、「源頼義像」(鶴岡八幡宮)や「石清水八幡宮曼荼羅」(県立歴史博物館)などの関連資料を特別公開します。

  • とき…8月8日(木曜日)~9月16日(月・祝) 午前9時~午後4時30分(入場は4時まで)
  • 休館日…月曜日(8月12日と9月16日は開館)
  • 観覧料…一般500円、小・中学生200円(団体割引あり)。市内の小・中学生と65歳以上の人は無料
  • 列品解説…土曜日 午後2時から

私たちと文化財 268

中世鎌倉のまちづくり

大蔵御所 1

今回は源頼朝が鎌倉に入って最初に造った大蔵御所(幕府)について紹介します。

治承4年(1180)、8月17日、伊豆国で挙兵した源頼朝は、10月6日に鎌倉に入りました。翌7日、父親である源義朝の館があった亀ヶ谷に行き、そこに館を建てようとしたものの、土地が狭いことと、すでに岡崎義実が建てた義朝を供養する寺院があったため中止したといいます。9日から館の工事が始まりましたが、なぜ大蔵の地が選ばれたのか『吾妻鏡』には記されていません。工事は地元の豪族である大庭景義が担当し、期日に間に合わせるため京都で公家の政所の職員をしていた兼道の山ノ内の家を移すことになりました。その家は正暦(しょうりゃく)年間(990~995)に建てられたものであったといいますから、当時としても築180年位の建物であったことになります。土地に穴を掘って柱を埋める当時の住宅が200年ももつことは考えにくいので、あるいは東国では非常に珍しい礎石を持つ建物であったのでしょうか。15日には頼朝がこの家に引き移っています。

その後も敷地内の工事が続いていたようですが、黄瀬川の合戦後、12月12日には御家人を引き連れて新造の御所に移っています。頼朝は「寝殿」に入り、供の御家人たちは18間(けん)の侍所に2列に向かい合って座り、この時出仕したものは311人であったといいます。1人が座る幅を60センチメートルとした場合、片側155人では93メートルとなり、長大な建物があったことになります。ちなみに1間は約5・2メートルという計算になり、かなり長い柱間になります。

源頼朝の鎌倉の御所は大蔵御所(幕府)と呼ばれ、源頼朝の法華堂跡の南側、現在の清泉小学校の周辺にあったと伝えられています。これは水戸光圀が編さんした『新編鎌倉志』の絵図と、『吾妻鏡』元仁2年(1225)10月19日条に「右大将家法華堂下の御所の地」、20日条に「西方の岳上(がくじょう)に右幕下(うばっか)の御廟(ごびょう)を安(あ)んず」とあることによると思われます。
【文化財課】

お問い合わせ

所属課室:共生共創部広報課広報担当

鎌倉市御成町18-10 本庁舎2階

電話番号:0467-61-3867

メール:koho@city.kamakura.kanagawa.jp

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