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更新日:2024年11月18日
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鎌倉文学館 電話23-3911
昭和の初め、実業家で歌人の内山英保氏が御成町の山に設けた冬柏山房(とうはくさんぼう)には、与謝野寛・晶子夫妻、吉井勇、徳富蘚峰ら、多くの文人たちが集いました。
揮毫(きごう)帳や色紙、短冊などの寄託資料を展示し、与謝野晶子の全集未収録短歌もご紹介します。
12月13日(土曜日)~25日(木曜日)。常設展示室をクリスマス用に飾り付け、夏目漱石、与謝野晶子ら文豪のクリスマスにまつわる作品を紹介します。
12月13日(土曜日)~来年3月6日(金曜日)。長年、鎌倉に暮らした俳人・荻原井泉水(せいせんすい)の原稿や書画を展示します。
毎週土曜日、午後2時から15分程度。鎌倉ゆかりの文学や建物について職員がお話しします。
揮毫帳に描かれた冬柏山房。画は正宗得三郎、歌は与謝野晶子
文化人権推進課 電話61-3872
12月20日(土曜日)…鎌倉生涯学習センター 15時00分と18時00分/入場料1,500円 前売りあり(障害のある人は無料)
【問い合わせ】鎌倉演劇連盟(中島)電話22-1841
川喜多映画記念館 電話23-2500
12月25日(木曜日)まで
入館料…一般300円、小・中学生150円
14時00分から。一般1000円、小・中学生500円 (入館料含む)
12月13日(土曜日)…ゲスト:野上照代さん(プロダクション・マネージャー)
12月23日(火・祝)…ゲスト:成島出さん(映画監督)
一般800円、小・中学生400円(入館料含む)。※は字幕・音声ガイド付き
電話32-1221
対象は市内在住の60歳以上で全回出席できる人。抽選。会場は教養センター(車での通所はできません)。募集案内は、高齢者いきいき課(本庁舎1階)・市社会福祉協議会(福祉センター内)・老人福祉センター・支所などにあるほか、市社会福祉協議会ホームページでもご覧になれます。
【申し込み】12月1日~9日に電話・ファクス・Eメールか直接、講座名・住所・氏名(ふりがな)・電話番号・生年月日を教養センター(FAX:32-1203、Eメール:kyouyou@kamakura-shakyo.jp)へ
すべて月曜日(6回連続講座)。午前(9時30分~11時30分)か午後(13時30分~15時30分)を選択。各定員100人。資料代200円。講師は、敬称略
1講座を選択。各定員50人。資料代200円。講師は、敬称略
定員15人。講師は、敬称略
鎌倉国宝館 電話22-0753
鎌倉国宝館は、館内整理と展示替えなどのため、12月15日~31日は休館し、来年1月1日から開館します。
永福寺(ようふくじ)は鎌倉宮と瑞泉寺の間、市内二階堂字三堂から亀ヶ淵・理智光寺に寺跡が存在しています。
寺跡のうち約8万6千平方メートルが国指定史跡に指定されていますが、現在、発掘調査の成果に基づき、中心的な堂の跡について史跡の復元整備を実施しています。
文治5(1189)年7月19日、鎌倉を出発した奥州討伐軍は藤原泰衡の率いる奥州勢を打ち破り、9月3日、泰衡は家来に殺害されて平泉の藤原氏は滅亡しました。8月22日、源頼朝は平泉に入り、ここで見た中尊寺二階大堂大長寿院をうつして永福寺を建立しました。『吾妻鏡』文治5年12月9日条では平泉の寺院を見て建立を計画したこと、その願うところは数万の怨霊をなだめ、輪廻(りんね)の苦しみから救うためであるとしています。平泉の寺院が軒を並べている中に二階大堂(大長寿院という)があり、これを模したために二階堂と別称されているのかと述べています。この大長寿院は高さ5丈(約15メートル)、本尊は高さ3丈(約9メートル)の金色の阿弥陀如来で、本尊の脇には1丈6尺(約4・8メートル)の仏像が9体安置されていたと記されています。
永福寺跡では発掘調査により三堂と呼ばれる中心的な堂跡と、その東側に池庭の跡が確認されています。
三堂は中心堂である二階堂永福寺とその両脇堂である阿弥陀堂・薬師堂で、三堂は二間幅の廊(ろう)で結ばれ、両脇堂からかぎ型の翼廊が池に向かって伸び、中門を介して池に至っています。北側翼廊には釣殿(つりどの)と呼ばれる遊興のための建物が建てられていました。二階堂は五間四方の建物で、桁行(正面)64尺(約19・4メートル)、梁行(奥行)58尺(約17・6メートル)で、その周囲に木で造られた基壇の跡が確認され、その外側に縁の礎石が発見されました。このことから二階堂はほぼ正方形に近い方形で、縁の下に木製の基壇を持つ堂であることが分かりました。
一方、中尊寺二階大堂大長寿院跡は中尊寺の最奥、白山神社能楽堂の脇にあります。発掘調査の結果、桁行四間以上、梁行四間以上の建物で、柱間の距離は14尺と推定されています。
永福寺跡では柱間は等間隔ではなく、例えば桁行の中央間15尺、両脇13・5尺ですが、大長寿院跡に非常に近い数値となっています。このことから、永福寺二階堂が中尊寺大長寿院を模したのであれば、5階建て相当の巨大な堂に約9メートルの中尊を安置した堂であったことが推測されます。永福寺は鎌倉初の大きなお堂だった訳です。【文化財課】