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更新日:2025年3月3日
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市では市内の文化財のうち、歴史的・芸術的に価値が特に高いものを市指定文化財に指定して保護を図っています。このたび新たに5件を指定しましたので紹介します。これにより、市指定文化財は310件になりました。
文化財課 電話61-3857
絵の左に「法印探幽行年六十五歳筆」とあり、狩野(かのう)探幽(たんゆう)作であることが分かります。
探幽は江戸時代前期に、室町時代に始まるとされる狩野派の再構築を図り、時代にふさわしい絵画の様式を創り上げました。将軍から直々に絵画の注文を受けるなど、狩野派の地位を確固たるものとしました。
探幽による富士山図は現在国の内外において25点余りが知られており、探幽が日本の風景画として富士山図を重視していたと考えられます。それらは江戸時代を通じて他の流派からも模範とされていたようです。本図はそうした江戸時代の絵画史上、貴重な作品です。
制作年代は江戸時代の寛文6(1666)年。縦73・0センチ、横168・0センチ 鎌倉市蔵
建長寺塔頭(たっちゅう)の妙高院の本尊で、本堂内須弥壇(しゅみだん)上に安置されています。
全体の作風から、制作は南北朝時代にまでさかのぼります。表面の金箔や漆塗り、宝冠や台座などは後の時代に修理されたものですが、本体の部材が造像当初のままとみられることは貴重です。
本像のように衣の袖や裾を台座に掛けて長く垂らす形式は、中国の仏画を源流とし、鎌倉時代末期以降、鎌倉地方を中心に東国の禅宗寺院で流行しました。
明和5(1768)年当時の妙高院の宝物を記した「妙高庵什物(じゅうもつ)帳」には本像の作者に仏師運朝の名前があります。
本像は南北朝時代の鎌倉地方の典型的な作風を示すものであり、この時代を代表する鎌倉の仏師に関わる資料としても貴重です。
妙高院は内部非公開のため、本像の拝観はできません
制作年代は南北朝時代。像高69.3cm 妙高院蔵
別願寺に伝わる14世紀から16世紀にかけての計10通の文書です。いずれも中世後期の関東の支配者から別願寺に宛てられ、花押(かおう)、印判(いんばん)が据えられた正式なものです。
内容は、所領の寄進、課税の免除などであり、とりわけ歴代の鎌倉公方(二代氏満、三代満兼、四代持氏)が父親の菩提を弔うために所領を寄進した証拠書類がそろっている点は貴重です。
さらに、持氏の書状に記される桜の花の贈答など、鎌倉公方と別願寺の日常的な交流もうかがわれ、鎌倉公方家の信仰の実態を知る手掛かりとなるものといえます。
制作年代は南北朝時代~戦国時代
別願寺蔵
昭和57(1982)年に鎌倉国宝館の収蔵庫建築に伴って行われた発掘調査で出土しました。
鶴岡八幡宮が造営された鎌倉時代初めの地層よりも下層で、男女を葬った墓が1基見つかり、そのそばのくぼ地で出土した状況から、墓での供養に用いた卒塔婆と想定できます。
(1)~(4)=上部が四角錐型で、その下に2本の線を刻んだ角塔婆。下端部は尖らせてあり、地面に刺して使ったと考えられます
(5)=上部が円盤形の杭状の木製品ですが、円盤形の上が壊れて無いため、本来の形状については検討が必要です
(6)・(7)=板を五輪塔の形に加工した卒塔婆です
卒塔婆を用いた供養は、平安京の天皇や貴族たちの間で行われていたものが、次第に広まったと考えられています。本資料は、地方における信仰の形や、仏教文化が受容されていくことを知る重要な事例です。出土場所がある期間墓地だったことを示しており、鶴岡八幡宮創建以前の鎌倉の姿を知ることができます。
制作年代は平安時代。長さは(1)74.3cm、(2)64.8cm、(3)63.4cm、(4)50.6cm、(5)111.9cm、(6)107.7cm、(7)141.0cm
鎌倉市蔵
『新編相模国風土記稿』に「北条政子所持の十二手箱」と記載された「蒔絵手箱」と、これと対であったと伝えられる、鶴岡八幡宮蔵の国宝「籬菊螺鈿蒔絵硯箱」を模写し、一巻の巻物としたものです。
「蒔絵手箱」の原品は、明治6(1873)年にウィーンで開催された万国博覧会に出品されましたが、その帰りに伊豆沖で運搬船が座礁、沈没し、失われました。
本資料の大部分は「蒔絵手箱」を描いたもので、紙を16枚つなぎ合わせています。その1枚ごとに箱と内容品をほぼ原寸大で描き、寸法や材質なども記して、手箱の全容が理解できるものとなっています。精細で巧みに描写されており、意匠、技法などを知る上で重要な手掛かりとなります。美術工芸史・歴史資料として貴重なものです。
制作年代は江戸時代。縦39・0センチ、横27・3センチ(全16紙)
鎌倉市蔵