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更新日:2024年12月6日
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鎌倉国宝館 電話22-0753
氏家浮世絵コレクションは、全作品が肉筆画であることが大きな特徴です。画家が直接描いた肉筆画は版画と異なり、細かな筆遣いで微妙な色彩を駆使して描かれ、美しいだけでなく画家の技量を知る貴重な資料でもあります。
本展では、葛飾北斎をはじめ、月岡雪鼎(つきおかせってい)、喜多川歌麿、菱川師宣、歌川広重らの名品を展示します。
鎌倉国宝館では、鎌倉の歴史や美術に関する講座を市内各所で開催します。
鎌倉の仏像についての講座を次のとおり開催します。初心者向けの内容ですので、これから仏像について学びたい人や、鎌倉市域の仏像に興味のある人もどうぞご参加ください。
鎌倉文学館 電話23-3911
鎌倉を訪れ、遊び、暮らし、この地を愛した文学者たちは、作品にそれぞれの鎌倉を書きました。源実朝や大佛次郎、永井龍男の目を通してたどる「鎌倉」を、原稿や図書など同館収蔵の資料で紹介します。
12月17日(土曜日)~25日(日曜日)
常設展示室をクリスマス用に飾り付け、高浜虚子、三島由紀夫らのクリスマスにまつわる作品を紹介します。
川喜多映画記念館 電話23-2500
1月15日(日曜日)まで
1月13日(金曜日)11時00分 ゲストは黒澤和子さん(衣裳デザイナー)
文化人権推進課 電話61-3872
会場は鎌倉生涯学習センター
鎌倉演劇連盟合同公演 12月23日(金・祝)15時00分・18時00分 鎌倉演劇連盟 志貴(電話090-3336-5154)
1,500円(前売りあり・障害のある人は無料)
永福寺には釣殿と呼ばれる建物が存在しました。柱間は幅1間(けん)、長さ4間で、北側翼廊の先端に位置しています。発掘調査の結果、創建当初は礎石(そせき)の上に建っていたものが、掘立柱(ほったてばしら)の建物に建て替えられ、その後また礎石の上に建て直されたことが分かりました。しかし建物規模の変化はなく、創建当初からの伝統が強く意識されています。
掘立柱は、東側先端の2本が一辺23センチの角柱、他の柱は直径27センチの円柱で、東西・南北方向に横木で固定されていました。柱・横木ともにほぞを彫って組み合わせ、長さ18センチの大きな釘が打ちつけてありました。このように強固な地中梁(ばり)を造ることから、翼廊先端の4間分の上部空間は壁がないか、解放できる、構造的に弱い釣殿と考えられたわけです。東側先端の柱は角柱で他の柱よりも細いことから庇(ひさし)の柱とみられ、幅1間、側面に3間続き、釣殿は母屋の東側に庇を付けて建つと考えられます。幅は369センチ、長さは母屋の部分の柱間は等間隔で242・4センチ、先端は274・8センチで合計1002センチです。
本来釣殿とは、貴族の館などに付随する建物で、中門廊の先端にあって池に臨んでいるものです。そのような建物が寺院に造られたことは創建した源頼朝の独創性を反映しているといえるでしょう。『吾妻鏡』には正治2年(1200)閏(うるう)2月29日、第2代将軍源頼家が永福寺以下の景勝地を遊覧した際、釣殿に僧や稚児などが集まり、酒宴を開いたことや、貞永元年(1232)10月29日、第4代将軍藤原頼経が雪見に訪れ、釣殿で和歌の会を開いたことが記されています。保元の乱以来の戦死者供養の寺であった永福寺が、このころには将軍家の別荘のような使われ方をしています。これも永福寺の大きな特徴の一つです。
【文化財課】