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更新日:2023年3月3日

広報かまくら平成28年度3月15日号8面

市指定文化財新たに3件を指定

文化財課 電話 61-3857

市では市内の文化財のうち、歴史的・芸術的に価値が特に高いものを市指定文化財にしています。このたび、新たに3件を指定しましたので紹介します。これにより、市指定文化財は318件となりました。

「神明鏡」と「大倉幕府跡出土の雅楽器文鏡」は、3月18日〜4月16日に鎌倉国宝館で展示予定です

彫刻 木造 大黒天立像(だいこくてんりゅうぞう) 一軀(いっく)

元は、長谷寺境内の大黒堂に安置されていましたが、現在は長谷寺の「観音ミュージアム」に収蔵されています。

スギと思われる粗い木目の材の一木造(いちぼくづく)りで、頭と体は一つの材から造り、背面に応永19(1412)年の墨書が認められます。室町時代に当たる年号は全国的にみても古いもので、大黒天像として東日本ではこれより古いものは知られていません。長谷寺の寺史との関係は不明ですが、大黒天の信仰などの歴史を知る上で本像の存在は貴重です。

典籍 紙本墨書(しほんぼくしょ) 神明鏡(しんめいきょう)二冊(上・下 )

神武天皇から後花園(ごはなぞの)天皇までの出来事を、天皇の歴代ごとに記した編年体の歴史書で、上・下二巻で構成されています。

特に下巻は東国の情勢が詳しく記され、永享(えいきょう)5(1433)年には、鎌倉を襲った地震の記述も見られます。

『神明鏡』の原本は現存しておらず、天文(てんぶん)ごろ(16世紀前半)に書写された写本(これも現存せず)が、現在伝わっているいろいろな写本の元と考えられています。

浄妙寺に伝わるこの本は、本文中に17世紀の人物名があることから、その頃の成立とみられます。また、天文9(1540)年書写の本奥書(ほんおくがき)があり、書写の元となった本の系統が明確にわかるとともに、他の写本にみられない独自の省略・改変があることから、伝来過程の究明において、貴重な役割を果たすものとみなされます。

考古資料 大倉幕府跡出土の雅が楽器文鏡(ががくきもんきょう) 一面

平成26(2014)年に実施した発掘調査で出土したものです。

中世には六浦道(むつらみち)と呼ばれた県道金沢鎌倉線に面した、鎌倉時代後半の13世紀末から14世紀初頭の土坑の中から出土しました。大倉幕府は、嘉禄(かろく)元(1225)年には宇津宮辻子(うつのみやずし)に移転しているため、本資料と幕府との関連はないと思われます。

鏡背面の中央には「鈕(ちゅう)」と呼ばれる紐(ひも)通しのつまみがあり、その周りに描かれている円の内側には雅楽で用いられる楽器と小道具と二羽の鳥が、外側には花もしくは蝶(ちょう)、飛雲の文様と笛・撥(ばち)が描かれています。

形や大きさ、鈕の形式、鏡の文様の特徴から、鎌倉時代初期に製作されたものと考えられ、全国的にも珍しい楽器文の鏡として貴重です。

私たちと文化財(278)

永福寺 まとめ

【文化財課】

永福寺跡(ようふくじあと)は鎌倉宮と瑞泉寺の間、二階堂字三堂から亀ヶ淵・理智光寺にかけて広がっています。

保元・平治の乱以降の戦乱を治めて鎌倉に政権を立てた源頼朝が、平泉の寺院を見て戦没者の供養を願い、建立しました。この供養は武士による新しい世の中の到来を示し、永福寺は武家の時代を象徴する寺院といえます。

モデルとなった中尊寺大長寿院二階大堂は高さ五丈(約15メートル)、本尊は高さ三丈(約9メートル)と記録にあることから、永福寺が鎌倉最初の大仏堂であったことが分かります。

中心堂である二階堂永福寺とその両脇堂である阿弥陀堂・薬師堂(三堂)が西側の山裾で一列に結ばれ、両脇堂からかぎ型の翼廊が北約250メートル、東西約120メートルの空間に、中心的堂舎・池庭を造りました。山稜を隔てて将軍の居所・大倉御所に隣接しましたが、そこからは隔絶した空間でした。

武士の支配地にその武士の支配が限定されるように、永福寺の荘厳な空間は谷戸の中に留まり、外に及ぶことはありません。これは当時の貴族が平坦地に池庭を持つ寺院を造って偉容を広く見せたのとは全く異なる空間に対する思想を示しています。東国武士たちは朝廷の権威・制度の一部を実力で獲得して中央集権池に向かって伸び、先端には釣殿(つりどの)が建てられていました。

三尊にそれぞれ堂を配して三堂とし、廊でつなぎ、貴族の邸宅に用いる中門廊や、行事などに用いる釣殿を加えた建物群とした造営も新しい試みです。祈祷だけでなく、将軍家の別荘のような使われ方もされていました。

創建に当たっては頼朝自ら土地を探し、低い山稜に囲まれた、川が北から西へ流れる比較的狭い谷筋を利用して南的な支配を脱し、すでに地方で始まっていた分権的な社会に対応した政権を作り上げました。こうした思想や空間認識に基づいて寺地を求め、造営した永福寺は、東国武士の世界観を表す寺院といえるでしょう。

永福寺跡のうち、約8万7千平方メートルが国指定史跡に指定されています。来年度の公開を目指し、発掘調査に基づいた復元整備を進めています。

お問い合わせ

所属課室:共生共創部広報課広報担当

鎌倉市御成町18-10 本庁舎2階

電話番号:0467-61-3867

メール:koho@city.kamakura.kanagawa.jp

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