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更新日:2026年4月24日
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(くわしくは広報かまくらPDF版(PDF:4,843KB)をご覧いただくかお問い合わせください)
鎌倉国宝館からのお知らせ
鎌倉国宝館 電話:22-0753
施設改修工事などのため、5月18日(月曜日)~10月23日(金曜日)休館。10月24日(土曜日)から、特別展「瑞泉寺七百年」を開催します。
川喜多映画記念館 電話:23-2500
1,300円
1,300円
5月9日(土曜日) 13時00分から(約40分)
展示の見どころを学芸員が解説(終了後、希望者は旧和辻邸見学も)
500円
5月9日(土曜日)14時00分から
ゲストはダニエル・アギラルさん(映画史家)
鎌倉歴史文化交流館 電話:73-8501
2館合同企画
同館では企画展「ROMANTIC(ロマンティック) JAPAN(ジャパン)ー19世紀手彩色(手彩色)写真でたどる世界から見た鎌倉、そして日本人」を、川喜多映画記念館では「シネマティック・ジャパンー世界を魅了した日本映画たち」を開催中です。
2館を巡り、学芸員の展示解説を聞いてみませんか。
とき…5月29日(金曜日)・6月13日(土曜日)13時30分(同館集合)~15時00分
対象:小・中学生
オリジナルの絵すごろくを作りながら、すごろくの歴史や江戸時代の旅について学んでみませんか。
抽選5組(小学生は保護者1人同伴)。
とき…5月23日(土曜日)13時30分~15時00分
【申し込み】5月6日までにe-kanagawa電子申請で
鏑木清方記念美術館 電話:23-6405
特別展(5月24日(日曜日)まで)は、5月8日(金曜日)から一部作品の展示替えを行います。
5月4日(月曜日・祝日)13時30分から
特別展「山川秀峰ー受け継がれる清方イズム」をよりお楽しみいただくため、山川秀峰の研究者・吉井大門さん(横浜市歴史博物館学芸員)をお招きします。
(吉井さんの吉は上が「士」ではなく「土」になっている「つちよし」です。)
鎌倉歴史文化交流館・鎌倉国宝館・鏑木清方記念美術館・川喜多映画記念館(映画鑑賞料金は除く)の観覧料などが無料です。入館時に本人確認書類などを提示してください。
同祭企画運営委員会事務局(文化課内) 電話:61-3852
来年9月から鎌倉芸術館などで行う市民文化祭の舞台行事参加団体を募集します。詳細は、5月11日以降に市役所ロビー・学習センター・鎌倉芸術館などで配布する応募要項で確認を。なお、参加希望団体は、説明会にご参加ください。
鎌倉芸術館 電話:48-5500
「鎌倉芸術館第九コンサート2026」合唱団に参加しませんか?
練習は7月以降、木曜日か金曜日の19時00分~21時00分で全30回程度を予定。
詳細は同館ホームページを。
【応募資格】小学4年生以上
【参加費】1万5,000円(学生料金あり)
【定員】抽選200人
【申し込み】5月11日から同館ホームページかはがき(〒247-0056 大船6-1-2、5月29日必着)で。
6月24日までに結果を郵送でお知らせします
深沢地域土地区画整備事業区域の北側にある丘陵の中腹には、南北朝時代に造られた「石造宝篋印塔(せきぞうほうきょういんとう)(通称:泣塔(なきとう))」が建っています。宝篋印塔は、日本では鎌倉時代中期以降に盛んに造られ、造立・礼拝・供養すると罪がなくなり、功徳が得られるものとして信仰されてきました。
泣塔は、富士山の周辺で産出される安山岩を加工した総高203センチの大型塔で、南北朝時代に造られた塔の特徴をよく表しています。塔の下部には二面にわたり「行浄(という僧侶)が、石塔婆(とうば)(泣塔)を建立します。それぞれの檀那(出資者)の現世での安穏と、死後は善い場所(浄土)に生まれることを願います。文和(ぶんな)五年(1356)二月二十日に供養しました」という意味の銘文が刻まれています。
全体が良い状態で残っている大型塔であること、作成時期の特徴をよく表していること、銘文から造立趣旨や造られた年代が明らかであることから、この時期の宝篋印塔の基準資料として貴重なものと評価され、昭和46年(1971)9月11日に市指定有形文化財(建造物)に指定されました。なお、泣塔という名前の由来は、かつて手広の青蓮寺(しょうれんじ)に移した際、夜な夜なすすり泣く声が聞こえたため、現在地に戻したという伝承に基づくとも言われています。
また、文和5年という年が、鎌倉幕府が滅亡した元弘3年(1333)から23回忌の年に当たることから、この場所で幕府と新田義貞の軍勢が戦った洲崎(すざき)合戦の戦死者を供養するための塔であるという伝承もあります。しかし、先に紹介した銘文にそのような内容はないため、後世に創作された伝承の可能性が高いと考えられます。
泣塔が建つ丘陵には、中世の横穴墓であるやぐらがあります。しかし、丘陵には危険木や枯損木が繁茂し、その根により岩盤が浸食され、崩落の危険が生じていました。そのため、令和8年の1月~2月にこれらの樹木を伐採し、根の浸食を抑制しました。
令和8年度からは、将来的な公開に向けた基本設計などを行っていきます。長年地域に親しまれてきた文化財をより良い形で後世に引き継ぎ、緑化も含めた良好な環境となるよう、整備を進めていく予定です。
【文化財課】
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