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更新日:2024年12月26日
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鎌倉市長 松尾 崇
災害時、市役所は市民の生命を守る前線基地になる――その時、災害対策の拠点に必要な機能とはなんでしょうか。今回は、被災地で災害ボランティア(以下、ボラ)活動をされた鎌倉ガーディアンズ代表・大津定博さんと、さかい内科・胃腸科クリニックの医師・酒井太郎さんのお二人に話を伺いました。
酒井
私は東日本震災後の9日目から、神奈川県医師会最初の医療チームとして参加しました。テレビではひどい場面だけを放映しているのかと思っていましたが、360度延々とあの景色が続いていました。
大津
私は3カ月後に、総勢100人で宮城県東松島市野蒜(のびる)に行きました。こういうことが起きるんだ。鎌倉に置き換えたときに、どうなるんだろう。自分は家族や地域を守ることができるのか、と考えさせられました。
大津
熊本地震のときは熊本城横にボラセンターがあり、そこで「あなたは倒れた家の片付け」「あなたは避難所の食事作り」などの指示を受けました。個人の家の片付けは全て自己責任で行うことになります。西日本豪雨も同様で、高齢者世帯の家に土砂が入っても、行政ではなく自分たちでなんとかしないといけない。そこでボラの出番になります。ボラなしに復興はありません。
酒井
東日本大震災では行政も被災していて、指揮系統も混乱していました。ボラセンターの運営もボラに頼らないと成り立たない状態で、住民の声を拾い上げ、人員を配置していたのもボラでした。外からのバックアップが不可欠だと感じました。
酒井
住民の命を守るために、役所機能を残すのは最低条件。その上で必要なのが「情報の収集・発信」です。
宮城県南三陸町では行政全体がまひし、避難所に来られない人がいるという情報すら入ってこない。僕がなんとか10日目に辿り着いたご家族は、避難所の場所も知らず、電気も水道も使えずに取り残されたまま、野草と川の水でしのいでいるという状況でした。
大津
地震と豪雨では、庁舎へのダメージが全然違う。地震の場合は誰もが被災者となります。その中で役所機能を残すためには、サーバや設備の在り方など「建物として災害に向き合う」という考え方が必要です。
(次号に続く)
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