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更新日:2024年11月27日
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10月6日は「世界脳性まひの日」です。
鎌倉市では、脳性まひのある人々をはじめ、障害のある人もない人も、だれもが一生にわたり、健やかで安心して地域で暮らせるまちを目指しています。
本市市議会議員の千一(せんはじめ)議員は、脳性まひがありながらも、平成13年(2001年)から20年以上にわたり、本市の介護・福祉・バリアフリーの充実のために尽力されています。
左から、松尾市長、千議員、比留間副市長。「世界脳性まひの日」のシンボルカラーはグリーンです!
本市出身の脳性まひ当事者であり、本市の障害者支援協議会全体会の当事者委員として活躍されている林田光来(はやしだみく)さんからメッセージをお寄せいただきました。
林田さんご自身の経験を踏まえたコラムをぜひご一読ください!
寝たきり、歩けない、意思疎通ができない。「脳性まひ」と聞くと、そんなイメージを持つ人が多いのではないだろうか。でも、実際の私達脳性まひの世界はもっと多様で、少し手足の動きがぎこちない程度の人から私のような車いすユーザーもいるし、意思疎通も言葉を操る人もいれば表情やサインで行う人もいる。仕事をしたり家庭を築いたりする人もいる。
「女性」と一言に言っても様々な人がいるように、脳性まひと言っても決して一括りにはできない豊かさがそこにはある。
世間では「障害者には優しく」と言われることが多いが、脳性まひの当事者として私が願うことは何か。そう考えた時、思い出した出来事がある。
小学生の頃、私はよく障害のない友達と鬼ごっこをしていた。私が鬼のときは走らないというルールを作って遊んでいたのだが、ある時から突然、友達がみんな私の手の届かない階段の上まで逃げてしまうようになった。私はひとりだけ取り残されたことが悲しくて寂しくて、それでもみんなと同じように遊べない私が悪いのかと思うと、結局何も言えずに笑って誤魔化していた。
そんな日々が続いたある日、私は勇気を振り絞って「どうしてみんな私を置いていくのかな」と友達に聞いてみた。どんな答えが返ってくるのかわからないこわさで自分の動悸が聞こえるくらい緊張していたが、ひとり置いていかれる日々に耐えきれなくなった私はみんなの本当の気持ちが知りたかった。すると、友達は「最近、光来は障害があるからってうちらに助けてもらって当たり前だと思ってない?車いすを押して欲しいならそう言えば良いじゃん。何も言わなかったら、うちらだって何もわかんない。ただ待ってるだけの光来がみんな嫌なんだよ。」と私に怒ってきたのである。
衝撃だった。私は自分に障害があるからみんなに避けられているのだと思い込んでいたのだけれど、そんなものはただの私の偏見でしかなかった。友達は私を「障害者」ではなく「一人の仲間」だと思ってくれていたからこそ、私に怒ったのだと思う。そこにあったのは、「障害者への優しさ」ではなく、「一人の人間に向き合う対等さ」であり、障害を理由に壁を作っていたのは他でもない私自身だった。その日から、私は自分の気持ちをできるだけ言葉にして伝えるようになり、私はまたみんなと楽しく遊ぶことができるようになった。大人になっても、人が対等な関係性を築くのに障害の有無は関係ないことを教えてくれたのは私の友人や仲間であり、知ろうとしないとわからないことがこの世界にはたくさんあることも学んだ。
社会には、自分と違う様々な人がいて、それぞれに得意不得意がある。人間は誰しも全ての人と仲良くなることは不可能なように、必ずしも障害のある人に対して優しく仲良くできなくてもそれは自然だし、お互い傷つけ合わなければそれはそれで良いと私は思う。ただ、忘れてはならないのは「自分の中の偏見に気づき、相手のことを知ろうとすること」。かつての私のように、自分の思い込みで物事を決めつけ、勝手な偏見で思考を固めてしまうことほどこわいことはない。
寝たきりと思われがちな脳性まひにも幅広い障害の程度があり、様々な生き方があること。
私達障害者も「助けてもらう存在」だけではなく「誰かを助けられる存在」になりたいとも願っていること。
言葉が話せなくても、喜怒哀楽を感じる心はみんなが持っていること。
「脳性まひ」はその人の一部分にすぎず、根本は同じ人間であること。
「脳性まひという障害よりも前に、一人の人間として私を見てほしい」
社会になかなか届かない声で、そう静かに叫んでいる人々が世界にはたくさんいる。
脳性まひと暮らす私達の声一つひとつを、大切な物語として受けとめてくれる人が一人でも増えますように。
私達を対等な人間として向き合う勇気を持つことのできる社会になりますように。
所属課室:健康福祉部障害福祉課障害福祉担当
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