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更新日:2022年7月19日

史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)

国指定史跡。正式名称は見出しのとおりで、読み方は「しせきほっけどうあと(みなもとよりとものはか・ほうじょうよしときのはか)」です。50m程の小道を挟んで別々の階段の先にある源頼朝墓と北条義時墓が合わせて1つの国指定史跡に指定されています。

源頼朝墓(みなもとよりとものはか)

源頼朝墓

源頼朝墓とされる石造りの層塔があります。かつて、源頼朝の墳墓堂である法華堂があった場所とも推定されています。安永8年(1779年)に島津重豪により頼朝墓の整備が行われ、現在も墓所内に残る碑文から当時、玉垣、灯篭、水盤等が寄贈されたことがわかっています。なお、現在の層塔は平成元年(1989年)に塔身と第1層の蓋石を残しき損されたものを翌年修理・再建したものです。

北条義時墓(ほうじょうよしときのはか)

北条義時墓

16m程度の石段を上がった先にある770平方メートル程度の平場。2005年の発掘調査で、この平場の地下から墳墓堂(法華堂)の遺構が発見されました。発見された遺構の位置が、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に記載された頼朝墓からの方位と地形と一致したことから、遺構は北条義時が祀られていた北条義時法華堂の跡であると推定されています。

遺構は現在の地表より下にあるため、保護するために調査後は埋め戻しを行い、草地として維持管理しています。遺構の真上には、調査でみつかった(柱の位置関係から割り出した推定も含む)法華堂の礎石や柱の跡、雨落ち溝の跡の実際の位置を木杭や石で地表に示しています。※素材は現代の一般的な庭園用素材です

遺構表示

「AR北条義時法華堂」で、原寸大の法華堂を

令和3年度(2022年度)に湘南工科大学長澤・井上研究室の技術により、スマートフォンアプリ「AR北条義時法華堂」を作成し、公開しました。アプリでは、北条義時法華堂の復元CGを楽しめます。

湘南工科大学ニュース:「長澤・井上研究室が北条義時の法華堂ARを開発」(外部サイトへリンク)

ホーム「AR北条義時法華堂」

2つのモードがあり、「お家でみる」では、現地・原寸では中々見られない真上からの様子や、建築を順々に構造分解した様子などを見ることができ、「現地でAR」では、アプリ内のカメラで現地のAR看板にあるマーカーを読み込むことで、その時々の現地を背景に原寸で立ち上がる法華堂を体験することができます。現地では、CGの建物の中を通ったり、内側から天井を見上げたりと様々なことができますので、実際のサイズ感をぜひご堪能ください

アプリケーションは、お手持ちのスマートフォンから各ストアにて「AR北条義時法華堂」で検索、無料でダウンロードできます。AR技術を使用したアプリケーションであるため、「ARコア」の搭載された端末でのみご覧いただけますこと、了承ください。なお、当アプリは「ARコア」の搭載されていない端末では、ストアの検索結果に表示されません。

DL用QRや簡単な操作方法など、こちらのチラシ(PDF:654KB)をご覧ください。

遺構表示と発掘調査結果の解説板

2005年の発掘調査の結果と2021年に行った遺構表示について、現地に解説板を設置しました。

クリックで発掘調査成果PDFへ

なお、本ホームページの多言語自動翻訳機能および読み上げ機能に対応させるために、内容を直接ご紹介します。以下の内容は上の画像表示されている看板の記載内容と同じですが、正確に翻訳されやすい日本語表現に置き換えています。

発掘調査成果と遺構表示の解説板の内容

 タイトル:発掘調査成果と遺構表示

2005年に行われた発掘調査の結果として、建物の縁束(えんづか)の礎石、雨落溝(あまおちみぞ)、柱を支える礎石が据えられていた痕跡が発見され、この場所に一辺が28尺(8.48メートル)のお堂が建っていたことが明らかになりました。調査では瓦が出土していることから、その建物は瓦葺であったと考えられます。また、一緒に出土した遺物(かわらけなどの土器)の年代から、その建物は13世紀末から14世紀初頭頃には使われなくなっていたこともわかりました。以上の調査結果と歴史文献『吾妻鏡』に書かれた情報から、これらは13世紀初頭に建てられた北条義時法華堂(「法華堂」とは、当時の偉人のための日本式の霊廟のこと)の遺跡だと推定されています。
正面の地面には、その建物の柱の位置を杭と石で、雨落溝を砂利で再現しています。

3つの近世墓

史跡法華堂跡(北条義時墓)の平場の北奥に石造りの鳥居と2列の石段が並んでいます。その石段の上には、左から毛利季光(もうりすえみつ)、大江広元(おおえのひろもと)、島津忠久(しまづただひさ)の三人の、近世に整備された墓所があります。2022年に、これらの近世墓についても解説板を設置しましたので内容をご紹介します。

近世墓の解説板

以下、看板に記載されている内容です。以下の内容は上の画像に表示されている看板の記載内容と同じですが、本ホームページの多言語自動翻訳機能および読み上げ機能に対応させるために、正確に翻訳されやすい日本語表現に置き換えています。

3つの近世墓の解説板の内容

 タイトル:近世に造営された3つの墓所

この階段の上には、毛利季光(もうりすえみつ)、大江広元(おおえのひろもと)、島津忠久(しまづただひさ)の墓所があります。これらは、元々は古墳時代後期に造られた横穴墓であったものを転用し、江戸時代以降に島津氏及び毛利氏が造営したものです。

左・毛利季光の墓

毛利季光(生年不明~1247年没)は、鎌倉幕府の御家人で、幕府の創設に貢献した大江広元の第四男で、代々長州藩主となる毛利氏の祖となる人物です。朝廷と幕府が争った承久の乱(1221年)で武功を挙げ、幕府の要職である評定衆に就くなど重用されました。しかし、北条氏と三浦氏が争った宝治合戦(1247年)で妻の実家である三浦氏に味方し、戦に敗れた三浦氏一族とともに源頼朝の法華堂(日本式の木造の霊廟)で自害したと伝わります。
季光の墓所は、大江広元の墓が造営されたのと同じ文政6年(西暦1823年)に、毛利斉煕(なりひろ)により鶴岡八幡宮の西側(雪ノ下の鶯谷の地)に造営されましたが、大正10年(西暦1921年)にこの地に移設されました。

中央:大江広元の墓

大江広元(生年不明~1225年)は鎌倉幕府の政所初代別当を務めた人物です。幕府の初代将軍源頼朝の側近として鎌倉幕府の創設に貢献しました。公家(朝廷の貴族)出身の広元は、鎌倉幕府と京都の公家との間の交渉で活躍し、頼朝の死後も、遺された正室北条政子や第二代執権北条義時とともに幕府の運営を支えました。
広元の墓のすぐ左隣の墓にまつられている毛利季光は、大江広元の四男であり、代々長州藩主となる毛利氏の祖となる人物です。この墓は、その縁から、文政6年(西暦1823年)に第10代長州藩主毛利斉煕(なりひろ)が造営したものです。

右・島津忠久の墓

島津忠久(生年不明~1227年没)は、鎌倉幕府の御家人で、代々薩摩藩主となる島津氏の祖にあたる人物です。忠久の祖母が将軍源頼朝の乳母だった縁から頼朝に重用され、平家追討などで活躍し、恩賞の一つとして南九州の島津荘(しまづのしょう)の惣地頭(そうじとう)に任ぜられました。
島津家には、忠久が頼朝の庶子であったという説が伝わっており、安永8年(西暦1779年)に、時の薩摩藩主島津重豪が頼朝墓に近いこの地に忠久の墓を造営しました。

三浦氏が供養されているやぐら

近世墓へと続く石段のふもと、石段を正面に見て10mほど左手にはやぐら(横穴式の墳墓)があります。2022年に解説板を設置しましたので、内容をご紹介します。

三浦氏が供養されているやぐら

なお、本ホームページの多言語自動翻訳機能および読み上げ機能に対応させるために、内容を直接ご紹介します。以下の内容は上の写真の看板の記載内容と同じですが、多国語に正確に翻訳されやすいような日本語表現に置き換えています。

三浦氏が供養されているやぐらの解説板の内容

 タイトル:三浦氏が供養されているやぐら

鎌倉幕府の有力御家人であった三浦氏が討たれ、北条家の得宗に権力が集中する機会となった宝治元年(1247年)の宝治合戦において、北条時頼に攻められた三浦泰村以下一族276人は、源頼朝法華堂にこもり、自害したと伝えられています。
源頼朝法華堂があったとされる地とは60mほど離れていますが、ここは自害した三浦氏一族の供養が行われているやぐらです。

やぐらとは? 13~15世紀頃に造られた横穴式の墳墓のこと。鎌倉とその周辺で特に多く見られます。

 

史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)へのアクセス方法

1.鎌倉駅からバス(乗車5分+徒歩5分程度)

JR鎌倉駅東口バス乗り場から「鎌倉宮(大塔宮)行」、「坂上行(ハイランド循環)」、「金沢八景駅行」または「鎌倉霊園正門前太刀洗行」バスを利用し「岐れ道」バス停にて下車。乗ってきたバスの進行方向左手に垂直の小道を直線に徒歩5分、突き当りが史跡法華堂跡(源頼朝墓)です。その階段のふもとから右手に50m程歩くと進行方向左手にある石段の上が、史跡法華堂跡(北条義時墓)です。

2.鎌倉駅から徒歩(20分程度)

所在地:神奈川県鎌倉市西御門2(外部サイト(GoogleMap)へリンク)

 

施設情報

  • 年中無休・24時間開場
  • 急な階段あり(ただし手すりあり)
  • トイレなし
  • ゴミ箱なし
  • 禁煙
  • 駐車場・駐輪場なし(2022年4月現在徒歩5分圏内に民営のコインパーキングあり)

 

お知らせ

  • 2022年6月20日、アジサイ(若木)がもうすぐ見頃です。また、アジサイ保護のロープ柵のロープを切る心無い行為が多発しています。ロープを切らないでください。
  • 2022年5月19日、NPO法人鎌倉みどりのレンジャー(外部サイトへリンク)と市の協働で、草刈り等の手入れをしました。

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鎌倉市ホームページについて

お問い合わせ

所属課室:教育文化財部文化財課 

鎌倉市御成町12-18(鎌倉水道営業所2階)

電話番号:0467-61-3857

内線:2670

メール:bunkazai@city.kamakura.kanagawa.jp

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