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更新日:2025年4月2日
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お知らせ
史跡大町釈迦堂口遺跡は、現在、安全上の観点から非公開としています。立ち入りはできません。
史跡大町釈迦堂口遺跡(おおまちしゃかどうぐちいせき)は、谷戸の奥に開かれた平場と、その平場を取り囲む丘陵に造られた「やぐら」などからなる、鎌倉時代後期から室町時代にかけての遺跡です。
史跡の指定範囲は、鎌倉市南東部にある「名越ヶ谷(なごえがやつ)」と呼ばれる谷戸の最奥部に位置している平場と、その周辺の山稜部です。平場北側の山稜部には唐糸やぐら、日月やぐら等のやぐらが数多く存在しています。また、現在は東京国立博物館が所蔵している国指定重要文化財の青磁の鉢3点もこの周辺から出土したと言われています。
平成20年(2008年)に平場部分で発掘調査を実施したところ、鎌倉時代中頃にあたる13世紀後半頃に谷戸の大規模な造成が行われ、その後、室町時代の15世紀にかけて、継続して土地の利用が行われていたことが明らかとなりました。特に、鎌倉時代後期~室町時代にあたる14世紀頃には、掘立柱建物や礎石建物が建てられていたほか、火葬が行われていたことがわかりました。周辺にやぐらが残る環境から、なにか宗教的な場があったと考えられていますが、この遺跡に関係すると思われる文献等の記録は現時点で見つかっていません。
現在、やぐらと平場の遺構が一体で残っている場所は、市内でも希少であり、中世の鎌倉の開発と、祭祀信仰のあり方を知るうえで重要な遺跡であることから、平成22年(2010年)に国指定史跡に指定されました。
かつて、この一帯には鎌倉幕府初代執権の北条時政の屋敷があったとも言われていましたが、発見された遺構の年代は時政が活躍していた鎌倉時代初期までさかのぼらず、遺跡の状況からも、時政のような武士が住む屋敷ではなく、寺院など宗教的な施設であったと考えられます。
当時の発掘調査の詳細は、『鎌倉の埋蔵文化財13』をご覧ください。
史跡は現在非公開としていますが、現在、将来的な公開に向けた危険木の伐採や転落防止柵の設置等の環境整備を進めています。
史跡指定地内にあるトンネル(通称:釈迦堂切通)は、江戸時代の地誌類に記載がないこと、また、地図での記載等により、明治時代以降に掘削されたと考えられています。
トンネルの上部には、中世に造られたと考えられるやぐらが10数基並んでいます。
現在、トンネルの前後の区間の斜面に崩落の危険があることから、トンネルの通行はできません。
通行の再開は、令和8年度以降を予定しています。詳細は関連リンクをご覧ください。